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代表あいさつ

ことばキャンプ代表・高取しづか

ことばキャンプ代表
高取しづか

お子さんは、自分を上手に伝えることができますか?
きちんと人の話が聞けますか?
友だちといい関係を築くとき、大人になって仕事をするとき、生きていく上でコミュニケーション力はかかせません。
この力は性格やもって生まれた才能だけではなく、練習でつけることができるのです。
日本のすべての子どもたちが、ことばのチカラを身につけて、かけがえのない自分を生かして、21世紀を生き抜いてほしいと願っています。

設立のきっかっけ

ことばキャンプに興味を持っていただき、ありがとうございます。
JAMネットワーク代表 高取しづかと申します。
なぜ、私たちがこのような活動を始めたかについてお話します。

私は子育てをしながら、雑誌の取材記者として働いていました。その一方で友人に誘われ「子育てネット」のメンバーになり『子どもと出かける東京遊び場ガイド』(丸善メイツ)を出版。
この本は子育て中のママたちが作った本として大きな話題になり、大ヒットしました。
いまの子育てガイドブックの草分けの本でした。その後も子育てネットメンバーとして先輩ママから後輩ママへ応援本の制作にかかわったり、記者として奮闘していました。

2013/4/8 NHKラジオでことばキャンプが紹介されました

「察する」日本文化

1998年、夫の米国転勤によって家族でミシガン州に暮らすことになりました。そこで出会ったのが、JAMネットワークの礎を築いた女性たち。日本と米国、両方の子育ての違いに興味を持ったママたちでした。
私たちが米国で暮らすようになって、まず困ったのが「ことば」でした。もちろん英語という言語のせいもありましたが、それ以前に日本語で「自分の気持ちや考えをことばで伝える力が足りない」と思ったのです。
あるとき、友人がサンドウィッチを買って食べようとしたとこと、レタスに泥がついていました。すぐにお店に持っていき、サンドウィッチを見せ「泥がついているのですが・・・」と見せました。
ところが、店員さんは何も言わずに友人をじっと見つめているだけ。しばらくたってから、やれやれという表情で「あなたは何がしたいの?お金を返してほしいの?サンドウィッチを交換してほしいの?それとも文句を言いにきたの?私にはわからないわ」と言うのです。
日本だったら「すみません!」と、こちらが何も要求しなくても状況を察してくれるでしょう。この国では「要求をことばで明確に伝えないと伝わらない」ことを経験しました。
「相手の言わんとすること」を状況や文脈の中で察する日本。「あうんの呼吸」とか「以心伝心」ということわざがあるように、察する文化の中で育った私たちは、ことばで状況を説明し明確に要求することに慣れていないのだと、痛感したのです。

自分の意思を持つ

また、米国で戸惑ったのは「何が欲しいのか?」「あなたはどう思うのか?」など、自分の意思についてよく問われたことです。アメリカの現地校に転入したMちゃんもあらゆる場面で「赤い紙と青い紙、どっちがいい?」「この場面を見て、あなたはどう思いますか?」と聞かれて、答えられずに困り果ててしまう日々が続いたそうです。「どっちでもよかった」のです。
欧米では、個人の意思を尊重して「どっちがいい?」とか「どうしたいのか?」聞かれます。そのときはっきりと「自分の考え」をいうことがよしとされます。日本では、むしろ強い自己主張は敬遠されることもあるので、はっきりと自分の意思を伝えることに戸惑ったのかもしれません。特に子どもの場合、日本では自分の意思を聞かれる機会があまりなかったため、Mちゃんは答えられなかったのです。
アメリカ人のママから「ベビーベッドにいる赤ちゃんの頃から、おもちゃを2つ見せて『どっちが欲しいの?』と聞いていたわ」と聞いたとき、腑に落ちました。
赤ちゃんも個人としてとらえ「意思を持つ一人の人格」という考えからきているのです。
私たち日本の親は、子どもが要求する前に気持ちを察して、先にやってあげることが多いように思います。思いやりがあっていいことなのですが、自分の意思を持ちことばで伝える力を育てようとする上では、逆作用するのではないかと思ったのです。
私自身も、自分の意思を聞かれてはっきりと言えずに口ごもってしまったり、「あなたはどう思うの?」と聞かれて考えがまとまらずシドロモドロ、適切なコメントが返せず会話が途切れてしまったり・・・そんな経験をたくさんしました。
英語でどう伝えるかを学ぶことはもちろん大事ですが、それ以前に
自分の意思をはっきりと持ち、それを相手にわかりやすく伝える力や、相手の話をよく聞いてそれに応答する力
をつけていかなければいけない、と思いました。

ことばによるコミュニケーションを学ぶ子どもたち

そんな中、欧米の学校や家庭では「ことばによるコミュニケーション」を徹底的に教育していることを知りました。私たちは、つてを頼って現地の幼稚園、小・中・高といろいろな学校をたずねてオーラルコミュニケーション(話す、聞く)授業を見せていただきました。
幼稚園では“Show and Tell”というみんなの前で自分の宝物を紹介するプログラムがあり、子どもたちは説明したり質問に答えていました。小学校ではプレゼンテーションをします。プレゼンテーションは、「プロジェクト」という調べ学習のような長期の宿題の最後に行われ発表します。言語教育内のカリキュラムとしては、話す・聞く・見る(viewing)が取り扱われ、Reading,Language arts, Englishの教科で、オーラルコミュニケーション教育が行われていました。(注)
また、「争い事は言葉で解決できる」をスローガンに、コミュニケーション教育を最も重視する私立の小・中学校The Japhet School(キリスト教の一派であるサイエンス派)に通ったり、ミシガン州の教育委員会にも取材に伺いました。
米国の先生やママたちにも「ことばを中心にした自立教育」について、座談会やインタビューを行いました。こうした取材を通じて、日本とは違うことばの教育、自立に向けた子育てについてたくさんの気づきがありました。
学校教育の中でコミュニケーションスキルの教育、子どものころから自分で考察し、論理的に説明する練習をつみ重ね、家庭でも自分のことばで伝えるよう教育しているから、理路整然と自分の意見を述べ、人の話をじっくり聞くことができるようになる。意見を求められたとき、「なんとなく」ではなくことばで伝えることができるのです。

コミュニケーション能力は、持って生まれた才能や国民性ではなく、練習によって身につく力、トレーニングの賜物なのだと確信したのです。

これからを生きる日本の子どもたちは、コミュニケーション力が生きていく上で必要。
どんな世の中になっても、どんな場所でも生きていけるように「ことばのチカラ」を身につけてほしい!
私たちは、日本に帰ったら子どもたちに届けよう!と、決意したのでした。

日本の子どもたちに届けたい!

私は、2001年に帰国しました。
すぐさま、子育てネットのメンバーだった友人の林田道子さんにこの思いを話し、2人で出版に向けて行動を起こしました。いくつかの出版社に掛け合い、ご縁を得て主婦の友社から出版が決まりました。
ところが、ここからが大変!持ち帰った資料を、どのように日本の子どもたちに伝えるか、喧々諤々の議論をしました。
「日本の子どもにプレゼンテーションすることなんか、望んでいないよ」
「あまり自分を出し過ぎるのは、かえって浮くからよくない」
「口ばっかりじょうずになったって」
コミュニケーショントレーニングは、日本では受け入れられないというのが日本にずっといたママたちの意見。
『そのとおり・・・』
たしかに、ことばは文化と密接に結びついています。ゼスチャーいっぱいで自分をアピールする米国人のようなコミュニケーションは、日本人にはそぐいません。
『では、どうしたらいい?』
日本の文化に合ったコミュニケーションって、どういうもの?
忙しいママたちの負担にならないようなやり方はないの?
そんな問いから、7つのチカラのトレーニング『親子で育てる「じぶん表現力」』2002年(主婦の友社)が生まれました。JAMネットワークメンバーの話合いをもとに、林田と高取が企画・執筆しました。

 

注:1990年代の米国のコミュニケーション教育
1990年代後半の米国の公教育は、まさに国家レベル・州カリキュラムレベルでコミュニケーション教育が推進されていた時期だった。
全米のコミュニケーション教育の動向について行った研究によると、コミュニケーション教育は、1970年代までは言語治療目的か特に才能のあるエリートのためのコースとして存在していた。しかし、1978年における初等中等教育法第2項の改正で、誰もが必要とする最低限のコミュニケーション能力の獲得が国家レベルの施策として明示されることになった。1992年に作成された全米教育目標「ゴール2000」の目標5で、コミュニケーションがアメリカの教育上の目標として位置づけられ、労働省の勧告レポートにもコミュニケーション教育の重要性が指摘されており、まさに国家レベルでコミュニケーション教育推進が強力に推し進められた時期が1990年代だった。
こうした背景があって1990年から1995年にかけて、全米レベルで一気に普及し、1994年の調査では78%の州が、コミュニケーション教育を州のカリキュラムに取り込んでいた。言語教育内のカリキュラムとしては、話す・聞く・見る(viewing)が取り扱われ、Reading,Language arts, Englishの教科で行われていた。スピーチコースの教育ではなく、他の学科と統合されて行われるようになった。
*長田(2004)『全米のコミュニケーション教育の動向』